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公開日:2018年9月29日
最終更新日:2019年3月1日

アルコール依存を他人に知られたくないという気持ち

アルコール依存を他人に知られたくないという気持ち 

こころの病を抱える方に負の烙印(スティグマ)を背負わせようという風潮は、現状確かに存在して、アルコール依存であったら、例えば「自堕落」であるとか、「無責任」であるとか、「頑固」であるとか・・・

その他様々なレッテルを貼られる可能性があります。

(だから、そういう世の中を変えていこう!とするのは、私の専門ではありません。)

特別視されたくない気持ち。

またそれらの他に、ただただ単に振り返って、恥ずかしかったり、今からどういう態度を取ればよいかわからなかったり、とにかく、他人に知られない方が都合が良いということもあると思います。

アルコール依存を認めよ!公表せよ!それが誓いを強固にする!・・・

例えば、周囲に、「自分はアルコールに依存したから、これからはお酒を一切口にしないのだ」と公に宣言して、断酒の誓いを強固にしようとする方がおられます。

私はその方が、そのことで、こころに身体にグっと力が沸いて、あるいは肩の荷が下りてスっと軽くなって、というのであれば、その「誓い」に関して素敵だな、と思います。

(関係はないですが、私も「誓い」を立てようとしたわけではありませんが、必然的に公になりました。)

その中で、では宣言/公表が必要なのかといったら、少なからず「しなければならない」ことでは「ない」と私は考えています。

(※病歴を偽ってよいという意味ではありません。)

現状は、物質依存の対策網に従わせるために、少し極端になっている(個人を半ば無視している)ように、私には思われます。

「犯した誤ち」と「障害/病」/ 「障害/病」は「過ち」ではない

例えば犯した過ちについて、何の反省もせずに振る舞ってよいかといったら、そんなことはありません。

傷ついた人がいるのであれば、そのことについて責任を負わなければなりません。

こんなこと、私なぞに言われなくとも、公然の道徳、あるいは義務ですよね。

それが少し厄介になるのは、「依存(障害)のせい」という視点が加わるからであると考えますが、依存が過ちを犯したわけではなく、依存した自分が犯しているわけであるので、悪いのは自分です。

しかし、「障害/病」は「過ち」ではありません。

・・・アルコール依存の場合、要所要所で工夫が必要になるとは思いますが、今、告白したらスティグマに耐えられない・・・というのであれば、(あるいは、その他、様々な要因で)私は、宣言/公表が「絶対」であるとは思いません。

アルコール依存を「知られる/認める」ことに不都合を感じる≒他人を気にして、自分を犠牲にしている?

「知られる/認める」といったことで、右往左往していると、

「そんなこと言ってられないでしょ!」と喝を入れる女性

例えば周囲からは「そんなこと言ってられないでしょ!」と喝を入れられるかもしれませんし、あるいはご自身の中でも「飲みたい」vs「そうも言ってられない」で葛藤があるかもしれません。

飲酒問題・アルコール依存の停滞

・・・そこで「停滞」が起こることが非常に多いです。

今、アルコール依存に介入しようとすると、オオゴトになって、それは「他人に知られる」ことにも繋がるし、それは大きく環境の変化が伴うことになる。

そこに抵抗があって「停滞」するとすれば、言うなれば、「他人を気にして、自分を犠牲にしている」状態であるのであるとも考えられます。

・・・これ以上の自己犠牲があっても仕方がないのではないでしょうか?

(周囲は本人だけは得をしていると思っているかもしれません。本当のところは)誰も得をしません。

だから、アルコール依存を公にしましょう(肩の荷を下ろしましょう)では、ないのでは?

以上のような自己犠牲の観点から、アルコール依存を公にしましょう(肩の荷を下ろしましょう)などと言うつもりはさらさらありません。

ある方によっては、そのことが、より一層「肩の荷」になるかもしれません。

一人一人、あるいは家族という単位でも、「事情が異なる」のですから、そこに葛藤が存在するのは、言うなれば当然です。(そこに依存の「正解」なるものを呈示して、得をするのは一体誰でしょう?)

宣言する/公にする/表明する/公約を掲げる・・・それが目的ではありません。

「肩の荷を下ろす」ことが目的です。

あるいは、肩の荷を下ろすだけではなく、今の状況をポジティブに変化させることであったら、多様な表現ができると思います。

・・・あるいは、どう表現するかではないですね。個人個人が、「今ココ」から何をしていくか、そこが大切なのだと思います。

大切なのは関係する人が、皆、「自分は今、何ができるだろう?」と考えること、です。

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この記事の著者

二井 大作
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