アルコール依存症は、こころの病である。→何故、自分なんだ
カテゴリー:お酒やめられない
アルコール依存症は、こころの病である。→何故、自分なんだ
アルコール依存症は、こころの病である。

その説明は、
「病気なんだから仕方がない。」
「病気になってしまったものはしょうがない。」
ということを暗に示しています。
そうか、誰にでもなり得る可能性があったのか。そうか仕方がないのか。
そう思えている内はまだ健康なのかもしれません。
では「何故よりによって自分なんだ」と悔しくて憎くてたまらなくなって、私は当然であると考えています。
翻って、「病気なんだから仕方がない」と言われてしまうと、感情のやり場がありません。
もうそこで感情を動かすことすら放棄してしまったら(また、お酒を活用してしまったら)、いよいよ身体は本当に動かなくなります。
依存症ともなると、そのどん底を体験してからがリカバリーの本当の始まりだとも言われたりしますが、いかんせん、それまでの毎日がとてもじゃないけど辛すぎます。
もし、今ご自身の感情の動きにフォーカスを当てられるのであれば、心理カウンセリングも検討してみて下さい。
仕方がないで割り切れなかったその先に、ヒントは山ほど転がっているはずです。
因果関係と相関関係とインスピレーション
現在の精神医学は「どうやらこうであるらしい」という「確率論的因果関係」に基づいています。
つまり、「原因」と「結果」で考えています。
しかしながら、依存症の直接的な原因は明らかでないので、「原因」と「結果」の区別はともあれ、「どうやら関係しているらしい」という相関関係でも、本来ならもっともっと考えていけるはずです。(自助グループでは行われていると思います。)
あるいは、完全なインスピレーションで構わないと私は考えています。
脈絡が無いということ。
なぜなら、
医学的な見解は知らないけれど、私は〇〇で依存のことが良くなった。
というのであれば、それでまったく何の問題もないからです。
依存症は普遍的な(みんなに効く)治療法が無いだけで、個々人の発見(を自助努力と呼んでいる)で経過が良くなったり、寛解したという例はいくらでもあります。
何か、腹におさまる感じがして正常な「やる気」を取り戻したら、その日から少しずつでも何かが変わります。
回復は、一段落ついた後に実感としてやってくる

当然ながら、
「今は、生活リズムを整えるフェーズ(段階)」
「今は、教えてもらった通りにするフェーズ(段階)」
「今は、人の話を注意深く聞くフェーズ(段階)」
など、ご自身で決めておられて、ひとまずはそれに集中してみよう!というのであれば、それは大いに「アリ」です。
なかなか回復を感じることができないかもしれませんが、大抵回復というのは「一段落ついた後」に実感としてやってくるものです。
信じて続けてみて下さい。
最初に心理カウンセリングを提案しましたが、何か気になることなどございましたら、気軽に私に連絡して下さい。
病が鬱陶しくて、とても損をした気分になるものですが、乗り越えた後には大きな喜びと共に日々の仕事に取り組めるはずです。