【アルコール依存】啓発(という名の啓蒙)の弊害と、気付きについての考え方
カテゴリー:飲酒問題・アルコール依存
【アルコール依存】気付きについての考え方
どうやら、「気付き」という言葉が誤解を招くこともあるようです。
その誤解を招いた背景には、アルコール依存が語られる場での「過ちに気付きなさい」という偏った啓発主義との関係があるように思われます。
ということです。
これでは、啓発ではなく「啓蒙」です。
それですと、本当にしんどくなってしまいます。
まだそのような「啓蒙一辺倒」な現場が実際にあるようです。
気付き(あくまで主観的なもの)

本来の気付きというのは、客観的な「真/偽」「正/否」によるものではありません。
正しさがわかるのではありません。
「それまで隠されていたものが、見えてくる」ということです。
それは自分の「感情」や「考え」、あるいは「性格」や「生き方」が関係しているかもしれませんし、ある「事柄」と関係しているかもしれません。
それらすべてが「主観的なもの」です。
当然ながら、これからも人生の舵を取るのは自分自身だからこそ、内側から溢れてくるものこそが何よりも大切なのです。
啓蒙(絶対的な「真」を諭す)
まず、アルコール依存症の「一般的知識」を押さえておくことは、「役に立つ」とは思います。記事←(電子書籍でまとめています。)
その上で、その知識が「絶対的な真」として君臨して、当事者の方々を逆に苦しめるというのであれば、本末転倒であるとさえ思っています。
「啓蒙」というのは、元々「光の下で真実を見た者」が「暗闇の中にいる無知な者たち」を導いてやること意味していました。
そのようなことであったら、無知な者は、しっかりと聴き、従わなければなりません。
しかしながら、当事者それぞれのアルコール問題に関しての「真実」って一体何か、といえば、そんなことは他人にはわかるわけがありません。
アルコール問題に限りませんが、こころのことというのは本当に難しいものです。
だからこそ、丁寧に「つむぐ」ようにしてやりながら、問題全体を進める必要があるのだと私は考えています。
個人の「気付き」を、本当に大切に

これもアルコール問題に限らず、精神/身体症状を伴う程の苦痛を今感じておられるのであれば、振り返ることは「症状」や、まして「酒」のみではないと思います。
溢れ出るような思いを、「どうやら正しいらしいこと」を受けて「塞(せ)き止めている」のが現状ではないでしょうか?
このことに関しましては、責任を持って断言します。
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