【アルコール依存】アルコールへの「耐性」と「逆耐性」 自分の依存度を評価してみる
カテゴリー:飲酒問題・アルコール依存
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アルコール依存、アルコールへの耐性について

アルコールへの耐性は、
「少量では酔えなくなるため、大量のお酒を必要とする」
だから飲む量が増えていくのだと説明されることが多いです。
・・・確かに、そのような説明も「人によって」納得できると思います。
※ただ、飲み方の変化によって、それでは説明がつかなくなってしまうことも、あります。
例えば、外で皆と大酒を喰らっていた頃は、まだ「依存」としては序の口。
今は部屋で身体にしみこませるようにお酒を飲んでいる。
そうであれば、おそらく総アルコール数は少なくても、依存特有の「沼」のような飲酒には近い、ということもあると思います。
アルコール依存はお酒の飲み方や、お酒との向き合い方、環境の変化など様々なことが関係して、決してお酒の量だけで括れることではありません。
総じて言えることがあるとすれば、お酒を飲んでも得られる「快」の効果が減退すること、です。
アルコール依存のアルコールへの逆耐性

アルコールに依存していなくても、アルコールによる負の影響は感じられることもあるかもしれません。
しかし、(飲みすぎによる体調不良)依存をすると、その「不快」な症状は出やすくなります。
そういうものだ、という説明で納得をしてしまっても、あるいはよいのかもしれませんが、
飲みたい➔飲む からは、「ある一定の状態」=「自分に合った酔いの状態」まで一直線に向かう傾向があります。
そのため、快と不快はセットで求めているとも言えるかもしれません。
耐性/逆耐性から、自分の依存度を評価してみる
上記を踏まえて、自分のアルコールへの依存度を評価してみる。
「アルコール依存度」などという言葉は造語です。
依存の重症度評価というものは、薬物治療などで確かに存在しますし、それをアルコール依存に置き換えることは容易ですが、私はそのこと自体にそれほど関心がありません。

★他者の評価よりも、今自分がどのように評価するか、それが重要であると考えるからです。
他人はアルコール依存を治してはくれませんし、
代わりにアルコール問題を解決してくれることもありません。
今の自分の依存は、どうなのか。
今、「お酒に関すること」で、多少なり不安に感じるのはなぜなのか?
それは、自分で評価するからこそ、価値があります。
個人内での「停滞」、はアルコール依存が「軽度」であるから?「重度/複雑」であるから?

自分の「お酒のこと」について、介入できない理由は、まだ自分は「軽度」であって、大事(オオゴト)にしたくないからでしょうか?
客観的に評価されたら「重度」であって、そこから「問答無用」の治療が始まるのではないか?という不安/面倒があるのでしょうか?
自分はアルコールに依存していると言われればそうかもしれないけれど、本当の問題は他にあって、(これもまた)お酒で大事(オオゴト)にしたくない??
様々な立場、環境があって、進展を妨げて(さまたげて)いるのではないかな?と想像します。
「在るべき姿」などないから、自由に検討してみる
こうしなければならない。
こうすべきである。
何か「ひとつの在り方」を強制されるような「イメージ」を抱えて、
その在り方に到達できる自分が信じられなくて、あるいはその在り方に従うことが正しいと思えなくて。
例えば、そのようなことだって、きっとあると思うのです。
そこで、身近なお酒に手を伸ばして問題を先延ばしにしてしまうのであったら、お酒を喜ぶわけでもなく、憎むわけでもなく、「在り方」に縛られずに自由に検討してみることを、私はすすめますし、お手伝いをさせて戴きます。
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