アルコール依存 問題飲酒の当事者は一人の「生活者」であるという視点(自己決定権を失うわけにはいかない)
カテゴリー:飲酒問題・アルコール依存
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アルコール依存の問題飲酒の当事者は一人の「生活者」であるという視点
アルコール依存症の人は、他人の言うことを聞かないから、アルコールへの依存を「否認」する。 アルコール依存症専門機関はそう申しております。
しかし、そう単純であるはずがありません。
まず、飲酒での問題を一気に引き受け入れたら壊れてしまうほどのダメージの渦中であったら「防衛機制」としての「否認」がされることがあります。それがフロイトの精神分析的な説明です。
糾弾だけされることへの危惧が、私の中にはあります。

もう一つ、
周囲はその人の「飲酒のことについて」がどうしても気になってしまうものですが、その人は当然ながら自分の人生を生きていて、今も何かの「最中」(さいちゅう)なのです。
仕事、仕事探しの最中であり、家庭では家族構成員としての役割を果たしている最中であり、遊びの時はなんとか遊びに集中しようとしている最中です。部屋で一人、打ちひしがれているのであれば、打ちひしがれている最中です。
それらはすべて「自己決定」により、行なわれています。
アルコール依存を認めたら、それらを「中断」せざるを得なくなるかもしれない。そこに強い恐怖感を感じていることもあります。
キーワードは「自己決定」です。
選択肢は増やしましょう。〇〇しかない、ということはありません。
アルコール依存の「客観的事実」と「感覚的事実」
気持ちが傾いた際には、誰だって変化には敏感になります。
「中断」というのは、非常に大きな「変化」です。
問題飲酒のある日々は、確信のあるものではなく「なんとなく」のものであると思いますが、自分で歩んできた道ですし、良くも悪くも「馴染んだ」ものです。
アルコール依存と先の見えない「恐怖」
そこからの先の見えない変化は「恐怖」です。
先の見えないというのは、例えば「お酒の中断」ひとつ取っても、「それでやっていける」という確信があるのであればそもそも問題にならないので、もちろん不安や恐怖の対象になります。
「そんなこと言ってられないよね?」という意見も「客観的事実」ですが、感じている不安や恐怖も「感覚的事実」です。
自己決定権の喪失?「逆に」獲得をする思考
また、「否認」の態度を改め、一般的な「正しいこと」に従ったのであれば、どうしたって問題飲酒の当事者は立場が弱くなりがちです。
実感の沸かない毎日を過ごすこととなると思います。
・・・それは、本当になんとも言い難い、「不満」と「諦め」が伴うものです。
私は、「現在の生活を変えよう」とするのであれば、逆にその時こそ「自己決定のチャンス」とすら思っています。
今までは「アルコール決定」だった部分が多かったのではないでしょうか?
「アルコール」が最優先で、大事な用事より「アルコール」、大事な用事だからこそ「アルコール」。大事な人より「アルコール」、大事な人だからこそ「アルコール」。
決定権は自分にあったことは間違いはないけれど、「お酒のある自分」での決定だから、必然的に選択肢が少なくなってくる。狭(せば)まってくる。そんなこともあったのではないでしょうか?
少なからず、
なんでもかんでも追い詰められればできる、というものではありません。自由な検討をして、最終的には自分で決定をすることが大切です。どんな状況でも、です。
「アルコール依存症は完治はしないが回復はする病」を克服する「あなた」
アルコール依存は回復するし、「アルコール依存症は完治はしないが回復はする病」として紹介されています。
その文章の主語は「アルコール依存症」です。回復のためにもアルコール依存症の「正しい知識」をつけようということも言われております。主語は「知識」です。
各人が、自分の人生のために問題と向き合っていきましょう。主語は僕であり私です。
向き合わなきゃいけない理由は、「もったいないから」です。
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ふたついカウンセリングは回復のみを目的とするものではありません。
現在抱えるアルコールの関係する問題の変化、解決を目指すものです。
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どのような内容のことでも、親身にお伺いします。
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