アルコール依存を、シンプルに考える アルコール依存を甘くみていませんか?
カテゴリー:飲酒問題・アルコール依存
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アルコール依存者は「取り返しのつかないこと」をしたから、断酒をして懺悔をする
アルコール依存で、例えばお酒をガソリンのように体内に入れ、身体も「こころ」もブーストした状態で行動をし、そしてそのままでは眠れないから自分のブーストを、今度はお酒で鎮火する。
・・・その中の行動の中には、思い出したくもないこともあるかもしれません。
大切な人を傷つけた。
嘘をついた。
犯罪を犯した。
何より自分を傷つけた。

そのような自分は許せないし、周囲も許してくれない?
だから、断酒をするのだ。
そういった方もおられると思います。
お酒を飲んだら、おかしな行動をとるのは「誰だってそう?」

しかし、少し考えてみて戴きたいのです。
お酒を飲んで、普段なら行わない行動をする、そのこと自体は、「普通」とも言えることではないでしょうか?
お酒が入ると言動が「大胆」になる方々を私は何人も知っています。
感情的になりますし、だから泣いたり笑ったり。
笑い話になる失敗もあれば、笑えないような事態になることもある。
「酔い」を求める方は多かれ少なかれ「変化」を求めているのですから、「誰だってそう」だとも言えませんか?
アルコール依存で問題なのは「コントロールができない」ということ
お酒を飲んだら「おかしな行動」をする・・・
その中で、飲み過ぎ!で起こる失敗については、それは多くの方が1回や2回はあるかもしれません。
そこで、失敗を失敗と受け入れて、改めれば良いわけです。
これからは、お酒は控えよう。

そう思えないことが、問題なのではないですか?
コントロールができないこと。
それが問題なのでは?
例え同じ失敗をしていたとしても、依存をしていない方はお酒と上手く付き合いながら、通常の暮らしをする。
一方で依存をした方はその失敗を一生をかけて償うことになる・・・
お酒の失敗を悔やむ、お酒を飲んでいない自分
とにかく、自分の失敗を悔やむのだ。
懺悔するのだ。
そうは言っても、それはお酒を飲んでいない状態の自分であって、お酒を飲んだ時の自分の行動にまでは想像が及ばない。
悟りを開く程に懺悔をしても、お酒を飲んだら、わからない。
そうであったら、お酒は「恐怖」以外の何者でもありません。
「依存」を甘くみない考え方
強い懺悔の念と、お酒への恐怖(重圧と抗酒剤)で依存は抑え付けられる。
病は気(懺悔の念と恐怖)から!

本当にそうでしょうか?
イタズラをした子供がイタズラをしなくなるように、断酒は行われるものでしょうか?
それは、依存を「甘くみて」いませんか?
申し訳ない気持ちと、自分を律しようという気持ち、それが病の症状を抑え付けることができるというのは、私には強引に思われるのです。
申し訳ない申し訳ない申し訳ない申し訳ない・・・
そんな時ほど、自分をどうかしてしまいたくなる。
そういうものではないでしょうか?
その思考は病的であって、だから病院で診断がつく「病」なのでは?
過去ではなく、今と、これからのための断酒
過去はどうでもよいと言っているわけではありません。
しかし、過去のことは、もう「今」の問題なのではないでしょうか?
過去を反省する自分が「いる」のは、今です。

今、そしてこれからのことを考えませんか?
過去はどんなに頑張っても変えられません。
すんなりと「お酒は控えよう」「お酒はやめよう」と思えないのであれば、それが依存であって、それが問題であると私は考えるのです。
まずはその状態を乗り越えて、解決させることが先決であると思います。
苦しめば、過去が清算されるというものでもありません。
過去を償いたいのであれば、病を乗り越えてからではないでしょうか?
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