何故、アルコール依存症は進行性の病であるのか 「耐性」が、できるから?
カテゴリー:飲酒問題・アルコール依存
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アルコール依存とお酒の量
飲酒に「慣れる」。耐性ができる。少量では酔えなくなる。
お酒の量が増えて、その中にはアルコールに依存してしまう人も出てきてしまう。
だから、お酒はほどほどに。
そのような説明がされています。

これだけであると何か「身体的」な問題のようにも捉えられます。身体の中の、大量のアルコールが、(例えば)生活を壊していったのだ。
飲み過ぎなければ百薬の長になるお酒。だから「大人な付き合い方」をしましょう。
・・・本当に、身体的なキャパ(容量)オーバーが本当の問題でしょうか?(否、違う!)
キャパを超えて尚、「飲んでしまう」ことが問題なのではないでしょうか?
何故、お酒がほどほどにできないのか
何故、適正な量で飲酒を終えられないのか。何故飲みすぎてしまうのか。・・・それは、人それぞれです。
この理由に関しては、何の「一般論」も展開できません。
あまりに「個人」なことなので、知ったようなことを申せません。
何故、アルコール依存は進行していくのか その「問題意識」
「その人」と「飲酒をする理由」に関して、私はその人を知らないまま何も述べることはできません。
しかし、アルコール依存の進行と「問題意識」については、意見が述べることができます。
周りの方の目にはそう映らないかもしれませんが、本人がお酒に「快」と「危険」という両側面を一度に見ていることが「進行」に関与します。
つまり、本人はアルコールに関して「問題意識」は多かれ少なかれ持っています。

ライトな例えになりますが、(時にヘビーに)自分の体重が気になった、ダイエットをしようと決意した。
その日から、ストレスに関して「食べ物」が関与します。
体重を気にしなければ、友人とカラオケに行って発散していたかもしれませんし、ウィンドウショッピングを楽しんだかも知れませんし、「食べ物」をたらふく楽しんで発散させたかもしれません。
しかし、体重に「問題意識」を持ったとき。
ストレスに対して、本来何も関係のない「食べ物」が連想され、我慢します。
我慢をするか「ヤケ食い」します。普段通りの飲食ができなくなる、それは「意識」の問題です。
本人の意識の中で飲酒が「問題」でないので在れば、飲酒に関して抑圧することもなく、爆発することもないのです。飲酒が意識されて、それが止められないから依存なのです。

本人の意志、あるいは「自覚」としばしば「上から」説明されます。
しかし、周囲は感じていないであろう「日常からお酒のイメージが離れない感覚」を感じているのは他でもない本人です。
アルコール依存の、では一体何が問題なのか?

いつも、どこかでほんのりとお酒のことを考えている。
あるいはいつもアルコールは体内に入れていたい。
・・・大量にではなくとも、一定値は保ちたい。ずっと泥酔していたい。シラフで居られるわきゃねえや?
それらは、一体「何が」問題なのでしょう?
症状に関して、それは依存の症例として報告されているということはあると思います。
しかしアルコールに依存していることが問題なのだ、という説明は、答えになっていません。
※ここを混同させがちです。
アルコール依存はあくまで「心理」の問題
アルコール依存はあくまで「心理」の問題です。
「お酒を飲んでしまうこと」が問題で、「お酒飲まずに我慢するようになる(不満に耐え続ける)」がその問題への解答である。
何かカタルシスがありますか?
私はそれを、「問題の解決」とは呼びません。
自分の生き方は自分で決める。 それを狙いましょう。
だから私はサポートしかしませんし、だからアルコール問題の「サポート」だけは専門性を持って行っています。
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ふたついカウンセリングは回復のみを目的とするものではありません。
現在抱えるアルコールの関係する問題の変化、解決を目指すものです。
じっと辛さに耐えておられる方、また家族の方、是非ご相談下さい。
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