飲酒問題・アルコール依存専門カウンセリングと断酒会
カテゴリー:断酒会に対しての私見
断酒会に行っても何だかうまくいかない方に
この飲酒問題・アルコール依存専門カウンセラーは「断酒会はなかなか難しいよ。」と言うのだろうと思われがちですが、私は決してそうは思っておりません。
「断酒会、頑張って通い続けようね!」と応援するのも、それは「その人自身の状況による」と思っております。
アルコール依存の中、断酒会での取り組みで「快活な毎日」を送れているのであれば断酒会は「その方にとって」正解です。
でも、現実はそう簡単ではないのです。
お酒を口にしないことを目的に断酒をする?

お酒を口にしないことがっ目的で断酒をしています。
↑ この言い方はおかしいですよね?
快活な、充実した、ご機嫌な、ウキウキする、あるいは「ごく普通がいい!」 そんな毎日を願って、それを目的として断酒をする。
断酒は手段であって目的ではない?(葛藤)
そういうことかもしれません。
その中で、いつも思うのですが、悩まれているご本人、そしてご家族にとって断酒会って一体何なのでしょう?
断酒会通いを「ノルマ」のように考えてしまったら、それは何の意味があるでしょうか?
そして「お酒の存在から逃げている」ということであれば、それはどんな意味があるのでしょう?
誰かへ向けての「証明」や「懺悔」であるならば、自己犠牲ははらんでおられないでしょうか?
目的が達成されない断酒の継続
口にしない毎日は手に入れられても、「たとえごく普通でいい」という、心の底からの願いや、「目的」が達成されません。
言葉を選ばずに言いますとアルコールに依存してから「お酒を飲んでいないだけ」ではないでしょうか?
それでも年数が経てばいつかは元気になるという期待をもちつつ、それで、どんどんとお酒から解放されていくのかというと、なかなかそうはいかないようです。

無理やり断酒って、本当に「目的」への道でしょうか?
お酒を飲む人生から「避ける」人生になるだけ?
・・・その「避ける」人生に心から納得出来ない人だっているということです。
納得できる/できないが「優劣」でもなければ、「良し悪し」でもなく、それは「人それぞれの考え方」であって、違いがあって当然であると私は考えています。
何をもって成功とするかすら、人それぞれなのだと考えます。
酒害者は「~すべき」を一度やめてみる
自分を取り囲んでいる「~すべき」「~あるべき」というものを一度取り除いて考えてみませんか?
お酒について自由に語ってみる、例えばポジティブな内容のことは慎む「べき」ではなく。
どうすれば自分は毎日楽しく過ごせるのか。未来に希望が持てるのか。
過去が償いたい。やり直したいのであれば、それらも現実的に検討をしてみる。
その「当たり前」を飲酒問題・アルコール「依存」が阻んではいないでしょうか?
断酒会に敬意を払いながら
色んな方々の感情を一気に引き受けて、現在進行形で誰かに安らぎを与えている「会」そのものに最大級の敬意を払いながら・・・
同時に、「個人」「家族」単位で考えなきゃ、しようがないこと。
社会復帰ではなく「社会貢献」まで考えると、アルコール依存界隈は「まだまだ」であること。
他の病も併せ持っていたり、障がいがあるのであれば、オーダーメイドで検討した方が、きっと生きやすいし幸せになれるということ。
私は私で、信念を曲げずに活動していきます。
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ふたついカウンセリングは回復のみを目的とするものではありません。
現在抱えるアルコールの関係する問題の変化、解決を目指すものです。
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